グリーン・エコー第53回演奏会
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バッハ/ウェーベルン
6声のリチェルカーレ
 〜「音楽の捧げ物」より (1747/1935)(管弦楽作品)
J.S.Bach/A.Webern "RICERCAR A 6 -Musikales Opfer, BWV1079"
1900年代初頭の無調音楽、12音技法の開拓者と言われるアントン・ウェーベルン(1883-1945)は、 ツェムリンスキー、シェーンベルクらと続く「新ウィーン楽派」の中核メンバーである。 原曲の「6声のリチェルカーレ」は、1747年バッハがフリードリヒ大王の前で即興演奏し、 その後いくつかの楽曲をまとめて「音楽の捧げ物」として出版した中の1曲である。 これをウェーベルンは小編成の管弦楽曲として1935年に編曲した。 主題を細かい動機に分割し、様々な楽器に割り当て、 パッチワークのように音楽が進行する。 リチェルカーレとはフーガの別称であるが、原曲集のサブタイトル 「Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta」の頭文字を繋ぐとリチェルカーレと読める言葉遊びにもなっている。(演奏時間約8分)
編成=フルート1、オーボエ1、イングリッシュホルン1、クラリネット1、バスクラリネット1、 ファゴット1、ホルン1、トランペット1、トロンボーン1、ティンパニ、ハープ1、 弦5部(第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)

コルンゴルト
過越の祝いの詩篇
(1941) E.W.Korngold "PASSOVER PSALM"
コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold:1897-1957)は、ミドルネームを借りた天才作曲家と同様に極めて早熟な作曲家であった。 11歳の時に作曲したバレー・パントマイム「雪だるま」はウィーンでセンセーションを引き起こし、 21歳の作品であるオペラ「死の都」は当時有数の上演回数を誇った。 20代の初めには既に自らの音楽スタイルと名声を獲得していたのである。 当時の音楽界はR・シュトラウスが管弦楽の機能を極限まで引き出し巨大な交響詩を生み出す一方で、 後に調性を放棄するシェーンベルクが本格的な作曲活動を始めるなど、大きな転換期を迎えようとしていた。 こうした中でコルンゴルトはマーラーやR・シュトラウスの後継となる作曲家と目されていたのである。
コルンゴルトの才能は特に劇場音楽の分野で発揮されたが、 こうした才能に注目した演出家のマックス・ラインハルトの誘いを受けて、 彼はアメリカへ渡り映画音楽に手を染めることになる。 1938年に故国オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、 ユダヤ人であったコルンゴルトはハリウッドで映画音楽に専念するしかなく、 20本の映画に音楽をつけ、その後のハリウッド映画の華麗なオーケストラ・サウンドの礎を築いた。 「風雲児アドヴァース」(1936)と「ロビン・フッドの冒険」(1938)ではアカデミー作曲賞を受賞している。 戦後、彼は純音楽の世界でもう一度評価されたいと強く望んだが、ヨーロッパでは既に前衛音楽が席捲しており、 彼の音楽はもはや時代遅れとみなされ、失意のうちにハリウッドで没した。 時代の荒波に翻弄され、一度は「忘れられた」作曲家となったが、 大衆性と芸術性を併せ持つ彼の音楽は、1970年代以降、映画音楽の世界から火がつき、 オペラの再演など再評価が進んだ。
「過越しの祝いの詩篇」は1941年、ユダヤ教のラビからの委嘱により作曲された、彼の数少ない宗教曲の一つである。 過越しの祭りの祈祷文に故郷を追われたコルンゴルトの切実な祈りが重なり、ノスタルジックな甘い旋律と映画音楽のような劇的な高まりを伴った、 コルンゴルトの音楽の特質を十二分に伝える曲であると言えよう。なお今回の演奏は日本初演となる。(演奏時間約8分)
編成=ホルン4、トランペット3、ティンパニ、シンバル、ハープ1、ピアノ、オルガン、バイオリン6、ビオラ2、 チェロ3、コントラバス2、独唱1(ソプラノ)、混声合唱(ソプラノ2、アルト2、テノール3、バス3)

ツェムリンスキー
詩篇第83番
(1900) A.Zemlinsky "PSALM 83"
ツェムリンスキー(Alexander Zemlinsky:1871-1942)は、ユダヤ人の家庭に生まれ、 少年時代にはシナゴーグ(ユダヤ教会)でオルガンを弾いていた。 しかし、ウィーンで仕事をするためにプロテスタントに改宗するなど、複雑な宗教的環境に身を置いていた。 20代半ばでブラームスに見いだされ、その後、シェーンベルクに対位法を教えた。 門弟にはコルンゴルトやマーラーの妻アルマがいた。 ウィーン・フォルクスオーパーの初代指揮者に就任したが、ナチスのユダヤ人排斥によって亡命を余儀なくされ、アメリカに渡った。 しかし、異国の地で孤独感にさいなまれ、寂しく人生の幕を閉じた。
ブラームスやワグナーの影響を受け、マーラーを理想とした作風は、 シェーンベルクやウェーベルンといった前衛音楽とは一線を画し、後期ロマン派的な保守性をもっていた。 1980年代以降、世紀末芸術の再評価により、近年はオペラを中心に上演の機会も増えてきた。
ツェムリンスキーは「ミサ」を作曲せず3曲の「詩篇」を残しているが、 ユダヤの出自に関わる旧約聖書に共感を覚えた作曲家らしい選択であろう。 今回演奏する「詩篇第83番」は、1900年に作曲された初期の作品であるが、ブラームス的な展開技法とマーラー的なロマンチシズムにあふれた意欲作である。 テキストは、神の怒りが異教徒を退け、彼らの後悔を誘い、神の偉大さを思い知らせるようにと祈る一節である。 揺るぎない対位法による力強い骨格を備えている一方、自在に変化する和声が前衛的な色彩感を添え、 彼がいうところの「音楽の美しさの限界」の中で構築された親しみやすい宗教作品に仕上がっている。(演奏時間約14分)
編成=フルート3(ピッコロ持替1)、オーボエ2、イングリッシュホルン1、クラリネット2、バスクラリネット1、 ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、ハープ、 弦5部(第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)、 独唱4(ソプラノ、アルト、テノール、バス)、混声合唱(ソプラノ2、アルト2、テノール2、バス1)

ヤナーチェク
グラゴル・ミサ
(1928) L.Janacek "GLAGOLITIC MASS"
ヤナーチェク(Leos Janacek:1854-1928)といえば、 村上春樹のベストセラー『1Q84』で「シンフォニエッタ」が象徴的に取り上げられ話題を呼んでいる、今最も「旬」な作曲家の一人である。 しかし、彼の音楽は最初から広く世界に受け入れられたわけではない。 彼はチェコ東部モラヴィアの寒村で、学校教師の10番目の子供として誕生した。 11歳の時にモラヴィアの首都ブルノに連れて行かれ、アウグスティノ会修道院の少年聖歌隊員となった後、 この聖歌隊の副指揮者を始めとして合唱指揮者や音楽学校の教師、音楽雑誌の編集者などを務めながら、徐々に作曲家としての地位を確立していった。 25歳の時に作曲技法の勉強にウィーンに向かうが、1年も経たずにブルノに戻っており、 彼はその後も音楽の中心地から遠く離れたモラヴィアにおいて音楽活動を続けていくことになる。 ウィーンから戻った頃から民族主義的な傾向を強めていったヤナーチェクにとって、民族の精神的特質を作品を通して表現することは、至上命題であった。 チェコでは既にスメタナとドヴォルザークが国民楽派として活躍しており、特に20歳の時に知り合ったドヴォルザークのことをヤナーチェクは深く敬愛していた。 しかし民謡など民俗音楽の旋律やリズムを素材として引用しながらも、あくまでドイツ音楽の伝統的な音楽語法を基盤として、 民族的な彩りを与えるという手法に飽き足らず、彼は音楽形式そのものに民俗音楽の語法を取り入れようとした。 民俗学者フランティシェク・バルトシュと協力して行ったモラヴィアの民俗音楽と民俗舞踊の収集・分析作業の結果、 彼は当時の芸術音楽には見られない自由な拍子や調構造を持つ旋律を見出し、これを自らの音楽語法に取り込むことで、 真に民族性を表現できる語法を確立していったのである。
晩年、歌劇『イェヌーファ』の成功により、ヨーロッパでもヤナーチェクの名が知られるようになったものの、 その死後は長く忘れられた存在となった。 一つには彼の独特の音楽語法が、同時代の人々には斬新すぎて、なかなか理解されなかったこともあった。 しかし、ドイツ音楽の呪縛から解放され、自由と独自性を勝ち得た彼の音楽は、時に荒々しくプリミティブな力強さを持ち、 汎神論的な自然や生命への讃歌に溢れている。 こうした彼の音楽の特質は、現代の我々にとってはむしろ新鮮で普遍的な魅力となっており、今注目を浴びる理由となっているのである。
今回演奏する『グラゴル・ミサ』は、ヤナーチェクの代表作の一つであり、教会音楽の形を借りてはいるものの、 その印象は一般的なミサ曲のイメージではない。 彼自身が「この作品において、私は国民の確信に対する忠誠を表したかった」と述べているように、 作曲の背景には信仰的な動機よりも第一次世界大戦後高まっていた民族主義がある。 大戦の終結した1918年にチェコ・スロバキア共和国は独立しているが、その10周年の記念としてこの曲は構想されたのである。 民族主義において、その関心はまず言語へ向かうことが多いが、ヤナーチェクが注目したのは古代スラブ語と文字としてのグラゴル文字であった。 9世紀にビザンチン帝国から派遣された聖キュリロスと聖メトディオスは、この地域でのキリスト教の布教のためにグラゴル文字と呼ばれる文字を発明した。 ヤナーチェクは通常のラテン語のテキストではなく、スラブ民族の象徴である聖人の時代のテキストを使用することで、 民族の再生というテーマを織り込んだのである。
曲は、管弦楽、オルガン、ソロ及び合唱それぞれが主役となり、やり取りしながら壮大な音楽を創り上げていく。 曲の終りにはオルガンの後奏に引き続いて、新たな祖国の出発を祝うように、ファンファーレを伴った管弦楽だけの「イントラーダ(序曲)」が置かれている。 ヤナーチェクは作曲時のことを回想し、「私には聞こえる。テノールのソロによる大司教の声が。ソプラノによる処女の天使の声が。 そして合唱は我らチェコ民族の声だ」と語っている。 苦難の時代を乗り越え独立を果たした民族の歓喜の叫びが合唱に託されているのである。 (演奏時間約45分)

なお今回の演奏ではヤナーチェクの原曲の指示に従い、「イントラーダ(序曲)」を最初と最後に置く全9曲の構成として上演する。
編成=フルート4(ピッコロ持替3)、オーボエ2、イングリッシュホルン1、 クラリネット3(バスクラリネット持替1)、 ファゴット3(コントラファゴット持替1)、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、スネアドラム、シンバル、トライアングル、 タムタム、グロッケンシュピール、ハープ2、チェレスタ、オルガン、弦5部(第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)、 独唱4(ソプラノ、アルト、テノール、バス)、混声合唱(ソプラノ2、アルト2、テノール2、バス2)

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