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サミュエル・バーバー『弦楽のためのアダージョ』(1937)

 バーバー(米1910-81)は、ガーシュインとバーンスタインの間に位置するアメリカの作曲家で、前衛的な実験音楽に背を向け、 ロマン主義的な美しい旋律を生み出したことから大衆の支持を得た。
 『アダージョ』は、『弦楽四重奏曲第1番ロ短調』の第2楽章を弦楽合奏用に編曲したものである。 ケネディ大統領の葬儀やアメリカ同時多発テロの慰霊祭など様々な追悼式で演奏されることが多いため、葬送の音楽と受け止められることがあるが、 作曲者にその意図はなかった。しかし、すすり泣くような旋律が力強く立ち上がっていく様は、確かに傷ついた人の心を癒し、励ましてくれる。 後にラテン語の典礼文を付けて無伴奏合唱曲にアレンジされた『アニュス・デイ』(1967)は、ベトナム戦争が泥沼化する中、作曲者が平和への願いを込めて作ったとされている。

レナード・バーンスタイン『チチェスター詩篇』(1965)

 イギリス南部にあるチチェスター大聖堂からの委嘱を受けてバーンスタイン(米1918-90)が作曲。ヘブライ語で書かれたテキストは、 旧約聖書の『詩篇』から作曲者自身が自由に引用したもので、世界の不条理に対する辛辣な批判と平和への切実な思いが込められている。
 第1楽章では、神への賛歌が7拍子のリズムに乗せて力強く歌われる。 第2楽章では、『詩篇』の多くを綴ったとされるユダヤ王ダヴィデの言葉をボーイ・ソプラノが美しく歌い上げる。 「主は羊飼い。私にはもはや足りないものがない。」しかし、憤った民衆の声が突然それをかき消す。 「なぜ諸国の王たちは諍いを続けるのか!」まるでミュージカルを見ているような臨場感を感じさせる場面である。 第3楽章の冒頭は、マーラーの緩徐楽章を思わせる焦燥感に満ちた音楽で始まる。 しかし、苦悩の歴史を経て獲得された平和を奏でる美しいメロディは、隔てのない理想的な世界が実現した様を歌っており、 ジョン・レノンの『イマジン』の世界観をも彷彿とさせる。
 全曲は「兄弟たちが一つになって平和に暮らすことはなんと素晴らしいことか」というア・カペラ合唱で締めくくられる。 それは作曲者がベルリンの壁崩壊を記念して指揮したベートーヴェン『第九交響曲』の精神にも通じるものである。
 12音技法を捨て、調性音楽でわかりやすく心情を吐露するバーンスタイン独特のスタイルから躍動的なリズムと美しい旋律が生み出され、聴く者の心を鼓舞し、浄化する。 ここには6年後に生まれる代表作『MASS』の萌芽を見て取ることができる。

カール・ジェンキンス『平和への道程』(2000)

 原題には『武装した男:平和のためのミサ』と記されている。 戦史研究家で英国王立兵器博物館館長のガイ・ウィルソンが、人類のたどってきた殺戮の歴史を振り返って戦争の虚しさと平和の尊さを痛感し、 ミレニアム(千年祭)に向けてジェンキンス(英1944-)に委嘱した記念碑的作品である。
 15世紀フランス古謡“L'homme armé”(武装した男)を主題とし、ミサ典礼文に様々な時代と文明の詞を挟みながら、 戦争になだれ込んで行く人類の愚かさとその結果招かれる悲劇を描いている。 ジェンキンスは、この曲をコソボ紛争の犠牲者に捧げている。
 テキストには、キリスト教の典礼文のみならずイスラム教の信仰告白「シャハーダ」や旧約聖書の『詩篇』、ヒンズー教の聖典『マハーバーラタ』、 原爆詩人峠三吉の詩などが選ばれ、人類の希求する安息と悔やむべき所業が多面的に描かれている。 キプリング、ドライデンといったイギリスの詩人たちの詩句に加え、委嘱者ガイ・ウィルソンの哀悼詩も含まれている。

 ジェンキンスは、幼少期からクラシックや教会音楽に親しみながらジャズ・ミュージシャンとしてデビュー。 架空の言語で歌った音楽ユニット「アディエマス」のアルバムが世界的にヒットしたが、国境のない音楽の世界で理想郷を夢見る彼の精神は、この作品にも反映されている。 「ミサ曲」とはいえキリスト教、イスラム教、ヒンズー教の聖典を引用し、英語、ラテン語、フランス語、アラビア語のほか日本語とサンスクリット語の英訳も使われている。 その変化に富んだ楽章構成は、宗教や政治的信条における違いを認めながら平和裏に共存していく道を探りたいという切実な思いから生まれたものである。 様々な世界で懸命に生きている民衆に向け、親しみやすい簡潔な音楽で呼びかけようとするジェンキンスの創作スタイルは魅力的である。

 全体は13曲で構成されている。 第1曲から第6曲までが戦争に立ち上がる気運と祈り、第7曲が戦闘の場面、第8曲以降がその結末を表している。 最初に戦意高揚のための曲が歌われ、戦時に突入する。民衆はいつも祈りの歌とともに兵士を送り出す。やがて兵士たちは、突撃の合図とともに戦場に身を投じていく。 しかし、その結末はあまりに悲惨である。勝った者も負けた者も深く傷つき、最後は自らの行いに後悔する。

第1曲:武装した男
 遠くから近づく軍靴の音に先導されフランス古謡『武装した男』の主題「男たちよ、鉄の鎧で武装せよ!」が歌われ、戦いへの気運が盛り上がる。 戦いに臨む民衆の意気込みが、グロテスクなほど楽天的なメロディで歌われる。
第2曲:祈りへの呼びかけ
 祈りの心情は誰も同じである。「アッラーは偉大なり。いざ礼拝に来たれ。」祈りの時を知らせるイスラム教の「アザーン」がアラビア語で唱えられる。
第3曲:キリエ
 キリスト教ミサの典礼文“Kyrie”「主よ、憐れみたまえ。キリストよ、憐れみたまえ。」に16世紀パレストリーナのミサ曲に使われた“L'homme armé”が現れる。
第4曲:残虐な者どもから私を救ってください
 グレゴリオ聖歌のスタイルで書かれた旋律に乗せて聖書の『詩篇』第56編1節および第59編2節が歌われる。
第5曲:サンクトゥス
 主を賛美し感謝を捧げるミサ典礼文であるが、歌詞の内容とは裏腹に合唱は暗く沈んだ面持ちで始まる。神を賛美する“Hosanna”のハーモニーもなぜか色あせている。
第6曲:戦闘の前の賛歌
 帝国主義的だとの批判もあるイギリスの詩人キプリング(1865-1936)が、戦場に向かう兵士の士気を鼓舞するために書いた英雄的賛歌。
第7曲:突撃!
 ドライデン(1631-1700)の詩“Charge!”(突撃)とスイフト(1667-1745)の書簡の一節「国のために死ぬ者は祝福される」をテキストにした衝動的な音楽。 ジェンキンスは悲鳴で終わる戦闘シーンのあとに長い静寂をはさみ、悲しみに満ちた追悼ラッパで犠牲者たちの死を悼んでいる。
第8曲:怒りの炎
 戦争の結末として、ジェンキンスは原爆詩人峠三吉(1917-53)の詩『炎』(英訳)を引用し、人類が経験した大虐殺の凄惨さを描く。 「…ぴょこぴょこ噴煙のしたから這い出て火にのまれゆくのは四足の無数の人間。噴き崩れた余燼のかさなりに髪をかきむしったまま硬直した呪いが燻る」(『原爆詩集』より引用)
第9曲:たいまつ
 古代インド、ヒンズー教の叙事詩『マハーバーラタ』(英訳)からの引用。二つの家系が争いによって皆殺しにされ、人がたいまつとなって燃え尽きていく様を描く。
第10曲:アニュス・デイ
 ラテン語のミサ典礼文による“Agnus Dei”(神の子羊)。人間の罪を背負って犠牲となったイエスの運命を悲しみ、「我らに平和を与えたまえ」と安息を祈る。
第11曲:いまや銃声は止んだ
 ジェンキンスにこの曲を委嘱したガイ・ウィルソンが、戦争で失った友を悼んで詠んだ詩。 戦いは終わったが、大切な人を失った喪失感は彼の心をいつまでも苛み、その苦しみは決して消えることがない。
第12曲:ベネディクトゥス
 ラテン語のミサ典礼文“Benedictus”(祝福あれ)に基づく挽歌。
第13曲:平和がよい
 15世紀の英騎士トマス・マロリー(1399-1471)の『アーサー王と円卓騎士物語』から「いつだって戦争より平和がいい」の一節が『武装した男』のメロディに乗せて歌われる。 短調だった主題は長調へと変化し、いつしか喜びの歌に変わっている。テニソン(1809-92)の英詩『荒野の鐘よ、鳴り響け』とともに平和の鐘が響き渡る。 最後は「神は全ての涙をぬぐい取り、もはや死も苦しみもない」という『黙示録』の一節で締めくくられ、恒久的平和への願いが伝えられる。

 「平和のため」という大義名分の下に人類は計り知れない犠牲を払ってきた。その矛盾は誰の目にも明らかであり、その過程はあまりに長く厳しい。 そうした作曲者の意図を汲んで、日本では『平和への道程』という邦題が付けられている。(文責:河辺泰宏)

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